新しい始まり
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2023.3.25 新しいスタートを控えて
2007年だったかな?学校の前にある小さなカフェでアルバイトを始めた。
それまでバリスタという職業については全く考えたことがなかった。
ただ毎日飲んでいたコーヒーが好きというところから徐々に興味が湧いてきて、
有名なカフェに行き、ネットで少しずつ情報を得るようになった。バリスタとして働いてみたいという気持ちになったのは突然だった。
大手カフェチェーン店に正社員として入社し、初めてコーヒーに関する教育を受けた後、
しばらく働いているうちに、もっと専門的なバリスタになりたいと思うようになった。当時は、(昔の?)日本スタイルのハンドドリップコーヒーが韓国で流行っていた。
ほとんどのロースタリーカフェではタカヒロのような細口のドリップポットが使われていた。ドリッパーはハリオよりもカリタの方が人気だった。
サムチョンドンで3か月間ハンドドリップの教育を受けた後、ホンデの近くのハンドドリップカフェに就職し、仲間たちと楽しく働きながらそれなりに多くのことを学んだ。しかし、自分で焙煎しなければ本当の意味でコーヒーの専門家にはなれないと思うようになった。
釜山で焙煎のレッスンを受けた後、2013年に地方に移り、妻と一緒にカフェをオープンした。
その時は1kg容量のテファン社の焙煎機を使っていた。私たちのコーヒーが好きな常連客が少しずつ増えていったことで自信がついた。もっと大きな挑戦をしてみたくなり、ついに6kg容量のギーセン社の焙煎機を契約した。
当時、韓国で人気のあるロースタリーカフェでは、酸味のあるコーヒーが流行っていた。
彼らの大半がギーセン社の焙煎機を使っていたので、それがあれば私ももっと美味しいコーヒーを作れるんじゃないかと思ったのだ。しかし、現実は違った。
コーヒーや焙煎について、本当に私は何も知らなかったと気づくのにそれほど時間はかからなかった。
思い通りになることは何もなく、しばらくは本当に辛い時間を過ごした。
一生懸命努力してはいたが、私が求めるコーヒーを全く作れなかった。
身を焦がすほどコーヒーに入れ込み、身も心も疲れ切っていた。もはやコーヒーに楽しみを感じられない状況で、続けていく自信もなかった。最終的には、愛情を注いでいた店を閉めて、妻と旅に出ることにした。決して上手ではなかったが、コーヒーには本当に一生懸命取り組んでいたから、世界で一番有名なロースタリーのコーヒーを体験することで未練を断ち切り、別の道を探すつもりだった。
6か月間、ただのコーヒー好きな客として、北欧やオーストラリアなどのいくつかの国でとても有名なロースタリーカフェを経験した。するとむしろ、本やアカデミーでは気づかなかった多くのことを得られた。コーヒーは決して、より高い価値や希少性があり、幻想的なものじゃない。自分が美味しいと感じる好みのコーヒーはどんなものか、基準が分かったことで、もう一度挑戦してみたいと思った。
その後、韓国に戻り、2018年にヒュッテ ロースタリーをオープンした。
以前は経験できなかった新しいことを経験した。今もそうだし、これからも新たな挑戦が待っていると思う。2007年にアルバイトでコーヒーを始めて以来、ついに初めてコーヒー産地を訪れることになった。グアテマラとエルサルバドルは個人的に最も愛着のあるコーヒー生産国で、
このような機会をプレゼントしてくれたTYPICAにはとても感謝している。明日以降、私のコーヒーライフにはどんな新しい世界が広がるのだろうか?
