景色から感じるもの
スタートからのあの緊張が残っているせいなのか。「いつか行ってみたい」と心底願ったその土地にたどりついた高揚感はありつつ、妙にフラットな感覚の方が大きく占めていた。
もちろん未知の景色にワクワクしつつ、エキサイティングしすぎない心境は目に映る景色を素直に受け止めるにはちょうど良かったのかもしれない。

自分の手に届くコーヒー豆の旅路。
文字情報に写真、動画に音声に、情報を得る手段はスピード感や鮮明さをもって実際に日本で話を聞いて背景を想像することはできるけど、それは自分自身の実体験では決してなくて。「本当のところはどうなのだろう」という心のひっかかりがどうしてもぬぐえなかった。
少しばかりの冷静さを頭の端に残しつつ。Moplacoさんが営むSidama 地区のWashing Stationへ向かう道中でも、ところどころではあるけれど、日常の一端がただそのあるがままに流れてくる。

道中立ち止まるたび、車に近づく無邪気な笑顔。
単に好奇心から近づくのも、民芸品やフルーツを売りに来るのも、小さな子供を抱えて施しを得たいのも、おしよせてくるようなエネルギーの強さに圧倒される。今この瞬間を生きるための彼らの気力は、自分がいつのまにか日々の生活の中でセーブをかけていたそれに似ているような気もした。

そんな力強いエネルギーに身をさらしつつ、刻々と近づくWashing Station
だんだんと増えてくるユーカリ林やチャットの木々に複雑な想いも抱えつつ
道なき道を突き進んだ先に歓迎の歌い声が聞こえてきた。
